前回の記事から半月。
お久しぶりでやんす。
いくつかのニュースや、それらへの世間の声、記事の書かれ方などにウツウツ悶々としておりました。
頭の中ではブログ記事を50くらいは書いたでしょう。
実際に文章に起こしたのも10くらいあったでしょうか。
全部消したけど。
私の一生涯のテーマ(たぶん)「虐待」と「生死」について。
生死については、数十年前に「解はない」と答えが出ている。
「虐待」はおそらく「生きている間中、解が増えたり変容したりする」が答えだと思う。
結局、これが答えだなんて言えるものは一つもないと、ほぼ確定している事柄だけれど、その手のニュースをスルーするのが下手なのだ。
で、ウツウツ悶々とする。
半月もウツウツしとれば充分であろう。
そろそろ楽しく塗り絵をしようじゃないか。
と、保留案件にいくつかのニュースを仕分けた。
私の頭の中の倉庫には沢山の保留案件がある。
だから私は迷うことはあっても、悩むことがない。
仕事の書類と一緒で、決定・却下・保留の三つに分ければいいのだ。
YES・NO・タンマ・ウッチャリの四つでもいい。
こんなにシンプルな私でさえ、うつ病にかかるのだから、人間の脳って不思議〜。
ここまで書いて、やっとこ目次。
ウツによる衝動的自死
一つ、自分の中で確定したことがある。
「三浦春馬の自死は、うつ病の発作による衝動的なものと考えられるので、病死として受け止める」
個人的にね。
ファンでもないのに、どうにも衝撃的だったので、思考の着地点が私には必要だったのだ。
乳幼児の放置死事件
私を憂鬱にしている原因の主たるものは「大田区3歳女児8日間放置死」だ。
ここのところ乳幼児虐待死の報道が多い中で、一番誤解された記事が出回っているように思える。私には。
真実は明らかになっていないし、おそらく裁判を終えても詳らかにはならないだろう。
苛烈な被虐待児の心身の傷とケアシステムの不備
実の親に身体中を包丁で切りつけられ、全治2週間の怪我を負うほど殴られ、紐やビニールテープで縛られ、食事も与えられず、ギリギリのところで保護された。
そんな少女が大人になって娘を産んで・・・。
正しく共感できる人が裁判の関係者の中にいるとは思えない。
被虐待の過去に苦しんで病んだ私が「自分は随分とマシな方だったんだな」と思ったほどの苛烈な虐待。
精神鑑定をするらしいが、何かしらの病気あるいは障害があることは確実だろう。
本当なら、脳や精神などの鑑定と加療が、保護された時点から継続して行われるべきだったのではなかろうか。
育て直しも必要だったかもしれない。
しかし、それが行き届かない社会のシステムとキャパを悲しいと思うのだ。
世間の反応は放置の理由によるのか
で、私が世間の声を不思議だと感じるのは、この後にニュースになった「台東区3ヶ月女児16時間放置死」との違い。
3歳女児の加害母親は遊びに行っていた。こちらは仕事に行っていた。
前者の情報は多いが、後者は子供の死因も含め情報が少ない。
大きな違いはそのくらいなのに、前者は叩かれまくって、後者は同情を集めている。
ちなみに仕事に行っていたというのは母親の証言によるもので裏が取れているという報道は目にしていない。
とにかく、どちらの母親も「感覚がおかしい」点では一緒だ。
いくら食糧などを置いて行ったとて、乳児を16時間放置したら危険だし、3歳児を8日間放置したら危険なのだ。
そして、いくら生活費の為でも乳児を16時間放置は不自然だ。
では、三歳女児を出稼ぎのため8日間放置して死亡させたという仮のケースがあったとしたら、世間の反応はどうだろうか。
どんな理由であれ、一般論では「変」なのではなかろうか。
そして私は、放置した母親たちは、娘が死ぬとは思っていなかったと確信に近い想像をしている。
3ヶ月女児16時間放置死への同情が批判に変わった
情報が追加され、ここへ来て「3ヶ月女児16時間放置死」も今日現在では叩かれている。
通報する前の30分間で加害母親が「逮捕されるかどうかを検索していた」とのことで、潮目が変わったのだ。
それが検索できるなら、貧困についても、片親家庭への支援についても検索できただろうという理由。
(そういうことができない人もいるだろうし、できない事情があるかもしれないと思うのだが)
また、子供より自分の保身を優先させたという理由もあるようだ。
(認知の歪みが原因で悪気なく自分最優先というケースも考えられるんだが)
そもそも相手の男性が誰か分からないなんて、この母親は性に関してだらしがない、といった声まで出ている。
(自宅で出産及無届けということから、本当は分かっているが言えない事情があるかもしれないと思うんだが)
私自身のケースを考える
私が生後2〜3ヶ月の頃、私の後頭部がハゲるという事件が我が家であったそうだ。
父は母が臨月のときに、乗っていたタクシーが追突事故を受け重体で入院しており、母は急遽商売を始めたところだった。
母は一階で店をやっていて、二階の自宅の畳の上に私を寝かせ、哺乳瓶(ミルク)を与えて放置した。
何時間放置したのかは不明だが、私はキョロキョロして後頭部を畳ですって、ハゲたらしい。
髪の毛がごっそり抜け落ちていたそうだ。
母は「あなたの遺伝よっ!」と若ハゲの父を責めた、というお粗末な笑い話が含まれている。
一階で店をやっているといっても、忙しい時間帯は決まっていて、ひっきりなしに客が来る商売ではなかった。
それなのに母は二階の赤ん坊の様子を長時間、見に来なかったわけである。
もしも、乳児特有の突然死などで私が死亡していたら、母は世間から仕事だからと同情されただろうか。
それとも、非難されたのだろうか。
現在なら逮捕されただろうか。
被虐待児は虐待の連鎖を繰り返すと決めつけてはならない
このところ児童虐待の事件があると、「虐待の連鎖」という言葉が飛び交う。
私は大田区の3歳女児8日間放置死の母親は、広義の連鎖をしてはいるが、自分がされて辛かったことを娘にはしていないように思える。
少なくとも本人に虐待したという自覚はないだろう。
オムツをかえずにただれさせてしまったことがマズいということ、8日間るすにした理由がよろしくないことについての自覚はあっただろうが。隠したくらいなので。
女児の死亡時の体重は平均体重より3キロ少なく、痩せてシワシワだったという。
シワシワということは急激に痩せたということなので、元はもっと体重があったということかと思われる。
栄養状態はともかく、普段食べ物は与えていたということだ。
それに外傷はなかったということだから、包丁で切りつけたりはしていなかったのだ。
今回置いて行った食べ物や飲料水が少なすぎたのだろう。
ちなみに3歳で11キロ「しか」なかったとことさらに強調された記事がちょいちょいあるが、私の7歳時の体重が15キロだったので、3歳で11キロは酷な体重ではないと思う。
虐待事件が起きると、加害親が被虐待児であることが多い。
だからと言って被虐待児が我が子を虐待するとは限らない。
逆に被虐待児でなくとも、我が子を虐待するケースはあるのだ。
被虐待児に必要なのは、一人一人への丁寧な教育とケア(加療)だ。
産児制限システムではない。
言いたいことの1割くらい書いたから、これでよしとしよう。