「今週のお題」が「お父さんに伝えたいこと」である。
先日「傘」がお題のときに母親のことを書いたので、父親のことも書かないと公平ではないだろう。
「破れ鍋に綴じ蓋」とは良く言ったもので、トンチキな母の夫、つまり我が父親は立派なトンチキである。
彼は大正デモクラシーが来ていない価値観で生きている。
その為「女が高校へ行く必要はない」と言って憚らない。
義務教育が小学校までなら「中学校へ行く必要はない」と言うことだろう。
この価値観は21世紀の今も尚健在である。
因みにこの父は「女房と子供(ガキ)は殴ってしつけないといけない」と思い込んでいる。
私が高校受験のときのことだ。
担任教師から頼まれて、ある私立高校の特待生の受験をした。
コレは一定の偏差値を超えていて、経済的に余裕のある家庭の子は皆んな頼まれていた。
おそらく学校として推薦枠だの何だのを確保したかったのだろう。
その高校はマンモス校で、特待生は2クラスある進学コースに入学することになる。
で、入学金・授業料が免除されるのだ。
しかし、その高校を出たとなれば「すっごく勉強が出来ない」か「すっごく素行が悪い」かの、どちらかのレッテルを貼られることになる。
その後、それなりの大学に進学すれば「すっごく素行が悪い」と確定される。
この素行が悪いとは、警察や家庭裁判所のお世話になったことを指す。
そんな高校である。
この特待生に合格しちまった。
合格するに決まっている生徒だけが受験するのだから当然だ。
そもそも高校受験自体に反対だった父親がコレに飛びついた。
「タダならいいじゃないか、そこへ行け」
すったもんだあって、ギリギリ締め切り15分前くらいで、第3志望の私立高の入学手続きに滑りこめた。
15分遅かったら、不本意な高校か中卒かの二択になるところだった。
危なかった。
また、時代とは関係なくトンチキであることが3年くらい前に確定した。
私は18で家出して以来、長い間父親とは断絶していた。
が、私の病気がきっかけで、10年ほど前から年に2回くらい連絡を取るようになっていた。
その間、過去のいろいろな疑問やわだかまりについて、少しずつ父親に探りを入れていたのだ。
私は本当のことが知りたかった。
で、3年ほど前の電話が最後になる。
それは私が父親のトンチキぶりに再び絶望した言葉が、いくつかあったからだ。
その中の一つが「一年くらい離れていた母親を忘れるなんておかしい」という内容のものだ。
私は一歳になるかならないかくらいで、父方の祖母に預けられていた。
それは2年半くらいの期間で、母親に会ったのは祖母が私を連れて福島から神奈川くんだりまで行った1回だけ。
そんな状態だった為、3歳も後半の頃に母親に再会した時、私は母親を忘れていた。
で、その母が怖くて祖母の後ろに隠れたのだ。
そのときのことを母親には言っていないが、母親曰く「アンタが喋った瞬間、怖気が走った」とのことだ。
つまり、母親は私の福島訛りにゾッとしたのだそうだ。
父親にこの「母親を忘れていた」という事実を話の流れで伝えた際、父親はちょっと声を荒げた。
「忘れた?お前を預けたのは一年間あるかないかだぞ」
・・・それは妹の話である。
妹はその年頃に母方の祖母に1年弱預けられていたのだ。
だが問題はそこじゃない。
この際、母親に会わなかったのが一年間だったとしよう。
一年間だったとして、一歳児である。
忘れないものなのだろうか?
電話も写真も一切なしで。
子供の一年間は、大人のそれとは長さが違う。
だが父親は言い放ったのだ。
「お前、言ってることがおかしいぞ」
ええと・・・一歳児なんだけど。
それを言ったら返ってくる言葉が容易に想像がつく。
「犬は三日飼ったら恩を忘れない」だ。
なんも言えん。
さて、トンチキなのは父親か私か。
当然私は父親がトンチキだと思っている。
今週のお題「お父さん」