おこもりさんも大海の夢を見る

諦めず、焦らず、時に倒れても海を目指して、ほふく前進する引きこもりの雑記ブログ

傘にまつわるエトセトラ / 我が家には終戦が来ていないという話

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傘については、恥ずかしい記憶しかない。

・・・最終的には恥ずかしすぎたためか記憶がない。

 

私が小中学生の頃、私の両親は第二次世界大戦が終わっていない世界にいた。

あるいは闇市があった時代、終戦直後あたりだろうか。

時には「黒船はまだか」と私は心の中で呟くこともあった。

 

だから、うちには「ティッシュペーパー」がなかった。鼻は「ハンケチ」でかむものであった。

私はこっそり手に入れた「ポケットティッシュ」や「トイレットペーパー」を利用していたが。

「トイレットペーパー」は、トイレが和式だったけれど水洗だったので、時空を超えて我が家にも出現していた。

 

そして「リンス」はおろか「シャンプー」もなかった。

父親の頭髪はわずかな面積を残して概ね枯れ果てていたので、当然不要である。

母親は椿油を愛用していて、石鹸で問題がなかったようだ。

子供の私は石鹸で洗っただけの髪に、毎朝雀の巣を作っていた。

そして毎朝、その雀の巣を母親にむしられていた。

 

そんな家だったので、傘は「黄色か赤」のどちらかしか与えられなかった。

長靴は「赤」だった。汚れが目立たないという理由からだ。

傘は何故か「黄色」なことが多かった。

赤い長靴に黄色い傘というケッタイな組み合わせで、私は学校へ通っていた。

まあ、編み笠と箕がヨーカ堂に売ってなくて幸運だったとも言える。

 

母親は私の「持ち物すべて」に油性マジックで大きく名前を書いていた。

「ハンケチ」にも一文字2センチ角はあろうかというカタカナでフルネーム。

だが、流石に長靴は靴の内側に横書きでぐるりと書かれた程度で済んだ。

それでも、骨と皮ばかりのガリガリの私の足の隙間から黒々とした文字が見えていた。

 

一方傘には持ち手に名札がついていた。

なので、その名札に細い油性マジックで名前が書かれるに留まった。

 

ところが。

小学校2年生の頃だったか、傘が立て続けに数回盗まれた。

学校の傘立ては下駄箱の横にあって、黄色や赤の無地の傘の子は幾人かいたため、間違えられたのかもしれない。

最初はそう思った。しかし、2度3度傘立てのところで自分の傘を探していると、最後に残る傘がないではないか。

間違いではなく、盗まれている。そう確信した。

 

母は激怒した。私に。

「あんたばっかり、どうして盗まれるのっ!」

苦情は学校に言って欲しい。

私は皆んなと同じように傘立てに立てているだけなのだ。

少なくとも、私に怒って解決することではないはずだ。

人と被らない柄の傘にすれば盗まれないかもしれない。

そんなようなことを思ったが、親に意見するなど「市中引き回しの上はりつけ獄門」に価するので言えない。

何しろ黒船が来ていないのである。

 

母は黒い太いマジックを持って、やおら傘にデカデカと名前を書いた。

一文字5センチ角はあったであろう。

黄色い傘の縁のところに、黒い太マジックで、そりゃあもう馬鹿でっかいフルネームだ。

私は泣いた。さめざめと泣いた。

それぐらいのことでと思われるかもしれないが、小学校二年生の女の子であるから、そこはご容赦いただきたい。

 

さて、私はその恥ずかしい傘を持って学校へ行っただろうか。

盗みは止まなかった。

上履きも何度か盗まれていたから、私は誰かから嫌がらせされていたのだろう。

私は「いじめにあった」記憶はないのだが、母親が「あんたはイジメられていることに気がつかない馬鹿だ」と言っていたので、「イジメ」だったのかもしれない。

 

とにかく以降、傘に名前を書かれることはなくなったが、他の物には名前を書かれ続けた。

高校一年生になった私が「パンツに名前を書かれて」ついに怒り、断固拒絶するまで。

それも母曰く「間違えられたらどうするのっ!」ということだが。

高校生がパンツを脱ぎ、誰かが間違えて他人のパンツを履く。

それってどんな状況だよ。

集団疎開じゃないんだよ、学校に行くだけなんだってば。

パソコンなどの物品は未来から登場するものの、両親の頭の中の終戦はいまだに来ていないらしい。