だって、流血の大惨事だったのだ。可哀想な私の左腕、肘から手首までギッタギタにあちこち皮膚が切り裂かれている。
それは金曜日の真夜中に発生した。0時過ぎ、ツレが帰ってくるほんの数分前だった。
猫が突然飛びかかってきて、噛み付いたのだ。思いっきりの本気噛み。
ギチッというような音がして、左腕に牙が食い込んだ。余りの痛みに私は叫んでしまったほどだ。
そもそも、うちの猫は噛み癖が酷くて、私の腕はいつも傷だらけだった。それが、大人になったからか、近頃は甘噛みしかしなくなっていたため、油断してしまった。
大体、猫が私に要求するものがなくなるまで、その時の私は日頃より丁寧に甘やかしていた。撫でろと言われれば撫で、食わせろと言われれば食わせ、抱っこと言えば抱っこしと、二時間くらいを費やした。
で、ひと段落ついた様子だったので、テレビを見始めたら猫が邪魔しに来た。画面の前に立って邪魔するのはいつものことで、だから数回猫をどかしたのもいつものこと。
しかし、その日に限ってお猫様は相当お冠になったらしい。
邪魔するのを諦めて一時間。ずっとイライラを溜め込んでいたのだろう。
私は猫の目つきが悪くなっていたのに気づいて一声かけたものの、テレビに集中してしまった。それから数分後の「ガブっ」である。
猫は噛みつきながら後ろ足で猫キックをする。そうすると、牙が食い込んだままズレて、ギギギっと皮膚を切り裂くことになる。
猫が大人になり、最近体重も増えたことで、過去最大にして最深の傷ができた。引き離すと私の腕から血が滴り落ちた。
痛みに呻いた私に、すぐさま飛びかかってくる。攻撃は第4波くらいまであったと思う。
単純計算をすると牙4本に4回をかけて、傷が16箇所。小傷もあるが、ざっとそんな感じ。
私の叫び声も4回くらい響いたと思う。ご近所に通報されなくて幸いだった。
だって、帰ってきて玄関で靴を脱いだばかりのツレと、警察が来たら隠れるであろう猫。で、血塗れの私。
どんな疑いをかけられるかは想像に難くない。
そんなわけで、ツレが帰ってきた時、私は左腕を抱え呻吟していた。
猫はといえば、いつもの「お帰りなさいダンス」を玄関で披露していた。床に寝転がって、右に左にゴロンゴロンと体をくねらせる、実に媚びたダンスである。これは、ほぼツレにしかしない。オスのくせに。
だから忌々しくって「何がゴロニャンだっ!ボケっ!」とか何とか私は罵った。
いつもと違う私の剣幕に、ツレが驚いた。その私、左腕が血塗れで、真っ赤っ赤。
「何をどうしたら、こんなことになるの!?」と驚きながらツレが、大仰なほどの手当てをしてくれたのだが、左腕がカーッと熱くなって、まあ大変。
もしも、発熱するようだと病院へ行く必要が出てくるかも、って思ったら憂鬱になった。
幸い、私は「トカゲ」と評されるほど治癒能力が高いので、土曜の夕方には殆どの傷がカサブタになっていて、腕の熱もすっかり引いていた。
今も左腕は、オロナインを厚手に塗って医療用の布と網目のサポーターで、ちょっと大袈裟すぎないかしらなことになっている。
そして自分でもビックリなくらい、猫に怒りを覚えている。猫も私の怒りに警戒心を抱いていて、飯の催促もしない。
小さな猛獣は事件以降ずっとケージの中で、カリカリをあげる時も私は無言で、猫も無言でスリっともしてこない。
気まずい。ヒジョーに気まずい。だが、どうにも仲直りする気持ちが湧いてこない。
相手は猫である。しかも愛してやまないうちの猫である。
自分の器の小ささに、ゲンナリする。
多分ね、お猫様の方は自分が犯した傷害事件のことなんて、もう忘れているのだ。
猫の記憶持続力って20分らしい。私が観察してきたところ、猫によっては1週間以上持つと思われるんだが。
今のお猫様は、憶えていてもしらばっくれることが多いと睨んでいる。
「なぁに?ボク知らなーい。ゴロニャン」という態度に、頬をヒクヒクさせながらも、最終的には目尻を下げて受け入れる。
それが猫飼いの心得というものなのだ。
日曜日のうちには仲直りすべく、こちらから折れてやるべきなんだろうが、自信がない。
ツレに仲立ちを頼むか。
それもまた現代ホモサピエンスとして情けないのう。