おこもりさんも大海の夢を見る

諦めず、焦らず、時に倒れても海を目指して、ほふく前進する引きこもりの雑記ブログ

英語は鬼門 / そこら辺記憶喪失なもので

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求められている内容と逆方向へ行くが、お題をやってみる。

 

 

私は英語アレルギーだ。カタカナ英語でさえ嫌なくらい。だからといって「パソコン」を「電子計算機」と表現するほどではない。

 

私が英語と出会ったのは、小学校五年生から通わされた、個人宅での「英会話のマンツーマンレッスン」だ。

毎週土曜日8時から10時の2時間。

実は主たる目的は英会話ではなく、夜8時キッカリに寝てしまう私の習慣を直すこと。私は「8時だよ全員集合ーっ!」の掛け声を聞いたことはあったが、番組内容を知らなかった。

だから母は「この子をとりあえず9時までは起こしておいてください。最初のうちは、9時過ぎたら寝かせていいです」とお願いした。

この風変わりなお願いを、週末だけ英会話教室をやっていた近所のおじさんが引き受けてくれたのだ。

何しろ小さい頃から夜8時前後、5分と狂うことなく完全に眠りについていた。それを中学校に入るまでの2年間で、10時まで起きていられるようにする。私にとっては地獄だった。

 

スタートの8時に、もうモーレツに眠いのだ。しかもフカフカのソファーで、熱帯魚の水槽がコポコポと音を立て、眠りを誘う。

歩いていても眠ってしまうくらいの私、座っていたら当然寝る。それでも、アメリカの小学校一年生用の教科書を何度も読まされる。繰り返し同じところを。発音で先生のOKが出なくて、なかなかページが進まないのだ。それがまた眠くなる一因でもあった。

ともあれ、白目を剥きながら、めまいや吐き気に耐え、中学入学までには10時まで起きていられるようになった。

 

もっとも、それだけでなく、家ではテレビを夜遅く、観させられたりもした。 

他の家では

 母「もう寝なさい!」

 子「まだ番組の途中だから、終わるまで待って!」

と いうのが一般的だったらしい。

 

我が家では

 母「寝るなっ!ほらっ、観ろっ!」

 私「・・・・・(白目)」

 母「妹(幼児)より先に寝てどーするっ!」

という具合だった。

 

中学生になると、母は私に教科書とそっくりな参考書を渡して言った。

「教科書とこの本の和訳を暗記しなさい」

私は中1、中2、中3の途中までの教科書を丸っと暗記した。英文と和訳をまっさらなノートに何も見ずに書き出せていた。

 

だが、3年生の1学期が終了しようというところで、私に異変が起きた。

小テストだったと思う。「机」の単語を「basket」と書いたのだ。頭の中に「バスケット」しか出てこなかった。頭の中の記憶に関する部分が、大変なことになっていたと思われる。

綴りは発音が出てくれば、何となく書けた。手が覚えている感じだった。

 

それは、英語だけの現象ではなく、他の教科もごっそり記憶がない状態になった。頭の中が、中学校1年の1学期かそれ以前に戻ってしまったのだ。

私は学年でも成績が上位だったため、私の異変に気づいた担任が慌てた。美術の先生だったのだが、私のために職員室でマンツーマンで色んな教科を教えてくれた。

多少は取り戻せたが、おそらく限界であっただろう私の脳味噌は再び憶えることを拒絶した。

特に英語は拒絶反応が酷かった。

 

そうして高校受験を私は「数学」「現代国語」「ちょびっとの英語」で何とか私立に合格した。数学が得意じゃなかったら浪人していたかもしれない。

以来、現在に至るまで、暗記がサッパリできない。もちろん英語はサッパリできない。

海外旅行はジェスチャー(パントマイム)と絵を描くことで乗り切った。ただし、海外旅行は一人では行かないことにしている。重要なアナウンスが流れても、気づかないに違いないからだ。危ないし、他人様に迷惑をかける。

私に英語の丸暗記を強要した母親は、英語が全くできない。英語恐怖症とすら言える。で、海外でも日本語で押し通している。気迫が大事らしい。それで、通じるのがすごいってか、怖い。

 

 

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