十三年ぶりで篠原涼子主演の「ハケンの品格」というドラマの2が始まるようで、楽しみだ。菅野美穂主演の「曲げられない女」もやってくれないだろうか。
「曲げられない女」ほどではないが、私は比較的日本語の使われ方を気にする方だ。ミステイクは気にならない。気になるのは、完全なる勘違いや思い込み。
近頃、ある日本語について危惧している。
それは「そうゆうこと」といった表記が、そろそろ認められるのではないかということだ。
冗談で「そゆこと〜」と言うのとは違い、本気で「ゆ」だと思っている人々が増えているのだ。ネットで見かける頻度がアゲアゲなのだ。
「全然〜(肯定)」が国語辞書で認められた
「全然〜ない」と、かつて「全然」の後には否定形が来るのが当然だった。しかし、今や「全然大丈夫」「全然似合ってる」などといった使われ方がテレビでもバンバン使われている。
そして、数年前だったか、それは辞書に載った。ただし「まったく」「完全に」と言う意味が認められ、「非常に」は俗語として使われているという書かれ方をしているようだ。(試験などではあくまでも否定形が後に来るとされているらしい)
そもそも「全然」は夏目漱石や芥川龍之介の頃は、肯定でも否定でも使われていたようで、それが現在では否定する使われ方が正しく、肯定は誤用とされるようになったらしい。
そういう経緯から、辞書も「全然あり」になったんだろうか。
だとするなら「そうゆうこと」については、杞憂に過ぎないかもしれない。
「やばい」の意味が広辞苑に追加された
広辞苑に「やばい」が「危険」という本来の意味だけでなく、「素晴らしい」という意味も掲載されたらしい。
なので現在では、「ねえ、あの人かっこいいよね」「うん、やばいね」といった会話が誤用ではなくなった。
それほど「素晴らしい」「美味しい」という意味での「やばい」が世間に浸透したということなのだ。
広辞苑が次に改訂されるのは大分先になるだろうから、それまでに「そうゆう」が浸透されないことを私は祈っている。
「そうゆう」が認められても大勢に影響はない
別に「そうゆう」と表記することがまかり通る世の中になったからといって、具体的に困ることがあるかと言えば、まったくそんなことはなく、実は何の影響もない。
ただ、個人的に気持ち悪いのだ。
私は発音するときも「そういう」と「い」で発音している。気をつけているわけではなく、自然にそうなっている。
その感覚で例えば小説の地の文に「そうゆう経緯(いきさつ)で、治五郎は江戸を追われることとなったのだ」なんて出てきたら・・・・気持ち悪くないか。
私は全然(断然)気持ち悪い。大いに引っかかる。左の眉毛が上がり、頬がピクピクしてしまう。
神経質だろうか。
言葉は変容していくもの
私の感性がどれほど嫌だと駄々をこねたところで、言葉は一般的に定着したと判断されれば、「アリ」になってしまう。
ともすれば、学校のテストで多数派が正解になることもあるのだ。そんなことはないとお思いだろう。私も自分が遭遇するまでは思いもしなかった。
「自転車」の読み方を「じてんしゃ」と書いて、バッテンをもらったことがある。正解は「じでんしゃ」だとクラスの皆んなが私を責めた。
先生は辞書を手にしているのに、なかなか確かめてくれなかった。だって、先生が「じでんしゃ」だと思っていたのだ。ミスを認めたくはなかろう。
その一問に生活がかかっている
私は一歩も引かずに「で」は間違いで正しくは「て」だと言い張った。一人で戦ったのだ。なぜならお小遣い50円がかかっていたからだ。満点なら50円。一問でも間違えれば0円。
そこにはおやつ代も本代も何もかもが含まれている。他の子のように、出かけるからお金頂戴も、前借りも一切ない。
しかし同級生は「皆んなが言ってるんだから、お前が間違ってんだよ」と言った。確かに私は福島訛りで、他の子が理解できない言語を使うことが多かった。でも、「自転車」は「じてんしゃ」だ。訛ってるのは「じでんしゃ」の方なのだ。
帰りのホームルームは私の頑迷さが理由で長引いた。それで先生が渋々辞書を開いて言った「うーん、じてんしゃが正しいみたいね。でもじでんしゃも正解にします」
私は悔しい気持ちになったが、目的は満点をとってお小遣い50円をゲットすることだったので、そこで引き下がった。
先生は嫌そうな顔で私の答案を100点に修正した。そして私は先生にまた嫌われたのだった。
そんなトラウマもあって、私は一々日本語の間違いを修正して歩く子供になった。悪い芽は早いうちに摘んでおかねばならない。
私の棺桶にはハリセンを入れて欲しい
その私は今、蔓延する「そうゆう」を駆逐したくて仕方がないのだ。しかし、知らない人のネット上の書き込みにツッコミを入れたら、変な婆さんでしかない。かなり気味が悪いだろう。
ってことは、もう、祈るしかないのだろうな。
「歌詞やドラマのタイトルなどで、変な日本語を使わないでくれっ」「かみさま、どうかセンスのない変な日本語を書類から焼き払ってください」「放送はピー音を入れてください」
・・・・偏屈な私の願い事にすらなりそうにない願いは、愚痴でしかないのかもしれない。ああ、愚痴だ。
でも、やっぱり、私が死んだ後で「まあ、老衰ってゆうことだから・・・」などと言う奴がいたら、棺桶から起き上がってハリセンで殴ってやる!
そうだ!棺桶にはハリセンを入れてもらおう。