おこもりさんも大海の夢を見る

諦めず、焦らず、時に倒れても海を目指して、ほふく前進する引きこもりの雑記ブログ

尾崎豊「太陽の破片」の魂の叫びは響くが、歌詞はツッコミどころが多い

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尾崎豊のトリビュート系の番組が、今でも時折放送されている。若いミュージシャンもやっているから、今更だが普遍的な音楽なんだと知った。

 

初めて聴いたのがいつ頃だったかは覚えていない。しかし、それは尾崎がデビューしてそう経っていない頃だと思う。

「盗んだバイクで」「窓ガラス壊してまわった」といった歌詞に反感を持った。

中学校で昼間から窓ガラスを壊してまわるヤツがいたり、自転車を盗まれたりで、迷惑を被っていたからだ。フザケンナ、である。

 

 

そこから数年が経過して、尾崎の他の曲を聴いて好きになった。ただ、ファンの人たちとは違う方向からの「好き」だった。

感動も共感もしなかった。ただ、その繊細さが痛くて、駆けつけて楽にしてあげたい気持ちになったのだ。尾崎豊の方が年上だったんだが。

で、尾崎は逮捕されて、拘置所から出てくると某音楽番組に出演した。テレビに出ることがなかったので、それはとっても稀なことで、YOUTUBEに今も出回っている。


太陽の破片 - 尾崎豊

「太陽の破片」はその番組で初めて聴いた。そして、全身が総毛立って、切なくなって涙が溢れた。そんな人が沢山いたんじゃないだろうか。

特に最後の叫びには参った。哭くって、叫ぶって、こう言うことかと思った。ロックのシャウトなんかじゃなかった。

人間が、ひとりの人が慟哭している。メロディーはあるのに、そう感じたのだ。

 

他の色々な曲をよくよく聴いてみれば、バラードなんかにも叫びがあった。

私が繊細さと一言で括っていたものは、傷ついた人のかなしみだったり、底なし沼みたいな孤独だったり、絶望の渕で希望に縋りたい悲痛さだったりした。

 

そして、やはり、私には「若者の代弁者」なんて思えなかったし、「教祖」でもありえなく、「仲間」とも思えなかった。

不器用で社会に馴染めずに苦しみ、のたうち回り足掻いている、孤独な魂だと思った。

メッセージ色の濃い曲が多いが、私はそのメッセージを受け取っていない。私には私の言葉があったし、必要なのは生きる力と、社会に潜り込んでうまくやることだったから。

私には漠然とした「大人」への反抗心がなかった。むしろ同世代の子供っぽさに嫌になっていたことの方が多かった。

問題があったら、解決する方法を考え、準備して実行するか、保留する。尾崎に共感するには、私は論理的すぎて、理性的すぎた。

自由になるためには、働いて金を稼いで自立するしかないと探っていた私は十三歳だった。十五にもなって「盗んだバイクで走って自由になれた気がした」って、解決のベクトルを間違えている。

だから、尾崎の表現力や声は胸に迫るものはあったけれど、いつだって俯瞰して聴いていた。それは今も変わらない。

 

そんなこんなで尾崎豊の絶叫の最たるものが「太陽の破片」だと思っているが、この曲をカバーしている人を知らない。

あの魂の叫びが際立った曲は、カバーでもトリビュートでも、ちょっと手のつけようがないのではなかろうか。

仮に存在したとしても、私は尾崎豊本人のものしか、聴きたいと思わない。

 

今日はちょいと疲れているようで、軽快に書けなかった。尾崎豊の歌詞って、ツッコミどころ満載なんだけど。

猫の看病疲れだ。猫は元気になったが、あたしゃ疲れたよ。

で、尾崎の曲で「疲れてんなぁ」と思ったのが最後のアルバムのこの曲。