週のはじめから暗い記事で申し訳なく、あらかじめお詫び申し上げます。
今、月曜日の未明です。週末まで引っ張るとアップする勇気がなくなりそうなので、あげちゃいますが、以下、週末にでも読んでいただけたら、嬉しく思います。
閲覧注意の危険動画なのは確かだ
興味本位の人や、トラウマ持ちは、観ないほうが良い動画です。人によっては、フラッシュバックが起きること確実です。
自動再生されると嫌なので、埋め込みリンクはやめておきます。その上で、真剣に考えたい、覚悟があるという方だけ、心してリンクをクリックするようにしてください。しかし、児童虐待について、問題意識のある方には、観てもらいたいという気持ちではあります。
酷い話だが、更に怖い話がゴロゴロある
タバコを押し付ける、洗剤を飲ませる。そういった内容については、本当に酷いものです。それはもう、人でなしとしか言いようがないことです。
しかしながら、私の知っている虐待よりも随分と音声も画も、私にとっては、緩いものでした。
一つには、私自身の体が大きくなったことと、精神的に子供の頃よりタフになっているからでしょう。多分。
もちろん、2Dだということも、ほんの少しはあると思います。それは本当にちょびっとだと言い切れます。
なぜかというと、目を閉じて音声だけを聴いても、私の心はダメージゼロだったから。正常な人が演じているのだから、当たり前です。本物は目や音の凄みが違います。
あとは、再現している事件の虐待の性質が、私の受けたものと違うからでしょう。
親のタイプの違いとも言えます。どこまで真に迫っているかは分かりませんが、この夫婦は凄みが足りないと思えました。
私が申し上げたいのは、こんなの軽い虐待でしょう、ということではありません。逆です。
この動画が耐え難いと思った方へ
あなたの感覚は健全だと思います。大人は大人なりに、子供は子供なりに、通常は耐え難いはずなのです。
私の感覚がおかしいのです。それは私が被虐待児童だったからなのです。
私がこの記事で訴えたいことは、これは確実に酷い虐待ですが、これよりも更に切迫感のある虐待やDVが、世の中にゴロゴロしているということです。
そして、その環境を生き延びて、懸命に前を向いて大人になり、しっかりと自立をして安心を得たサバイバー。それが、ある日突然、精神疾患として虐待の後遺症が出現することがよくある。
このことを言いたい。
よく「そんな子供の頃のことを引きずって」「大人だから自己責任」「同じ環境で育っても、頑張っている人が大半だ」などと言う人がいます。
実は、私自身が元々はそう言うタイプでした。それもかなり重症な自己責任論者でした。自分が頑張っていただけに「甘えている」ということを残酷にも思っていましたし、口にしたこともあります。
だから、どんなに説明したところで、理解を得られないことも知っています。
虐待死事件を想像して欲しい
目黒女児虐待死事件と野田小四女児虐待死事件。これは近年起きたことですし、ニュースでも大々的に取り上げられたので、内容まで知っている人が多いと思われます。
で、もしもこの女児2名が死亡せず、運よく生き延びて大人になっていく過程や、大人になってからのことを想像して欲しいのです。
果たして、虐待を過去のこととして、前向きに生きていけるでしょうか。あんなに凄惨な虐待を克服できるでしょうか。
人々は子供が死んだというニュースに心を傷めます。善意の人が多い世の中だと思います。
ただ残念ながら、善意の人や正義の人でも、たまたまニュースにならなかった被害児童が大人になったらという所に、想像が及ばないのです。
そして、それは仕方のないことと承知しています。
そこで「こじらせている人」にお説教する前に、具体的な事件の被害者が大人になれた時に、心の傷はどうなるかということを想像することを提案したいのです。
暗い嫌な話題ですが、どうしても私は、この記事を書きたかった。例え、いつも読んでくださっている方達に読んでいただけなくても。
とはいえ、すぐさま、別の楽しい記事も書きたいので、今後も引き続き読んでいただけたなら幸甚に思います。
ちなみに現在の私は、色々と治ってはいませんが、幸せいっぱいで、笑いながら日々を過ごしています。
アナアナカシコ。