古畑任三郎を観られない
ここのところ「古畑任三郎」の再放送をやっていて、録画している。で、何度も観ようとするのだが、どうしても冒頭のところを乗り越えられず、眠ってしまう。
田村正和が「んーーー」と言っている間に気絶する。特殊な電波を発しているとしか思えない。不眠症の方は、ぜひ試されたい。
好き嫌いではなく眠くなる声
いい声とも思われず、好きとも嫌いとも言えない声だが、どうしてだか眠くなる。そういう声がある。
かつての部下に柔らかい低音で、声量の小さな男子がいた。彼と数字の読み合わせをしていると、どうしても眠くなって困った。
わたしが読み上げる方をやれば良いのだが、厳重にチェックしたいときは、彼に読み上げさせて、わたしがチェックしなければならなかった。
一本調子なのも一因だが、やはり声の周波数が関係していると思うのだ。
声に覇気がないのも関係しているかもしれない。
声質自体は、どちらかと言えば、ソフトさが女性に好まれると思われた。わたしも嫌いではなかった。
まぁ、彼の行動のすべてがスローモーション映像を観せられているようで、少々ストレスを感じてはいたが。
眠くなる読経と眠くならない読経
眠くなる声の代表格は「読経」だろう。一定リズムの木魚が大きめで、低音気味だとより安らかな心地がして眠さが増す。
読経もお坊さんによって、随分と違う。同じ経を読んでいるのに、まるで違うのだ。
リズム感のないこともあるし、単純に声がよろしくないこともある。
だが普通の声でも、抑揚ゼロの流れていくような読経。これは眠くなる。リズム音痴のときは気持ちが悪くなるので、また別だ。
何つうか、魂の入っていない読経。ただただ、こなしているような。意味わかって読んでるか?と問いたくなるような。そういう読経が眠くなる。
そういうお坊さんの法話は、絶対に退屈で眠くなると思っている。観光名所のお坊さんの法話は上手で面白いので、オススメ。ちゃんと笑いどころを盛り込んでくれている。
耳障りな落語は嫌だが、眠くなるのも遠慮したい
落語は、音声だけで聴く機会がある。飛行機とか、ラジオとか。テレビなどで観ていれば楽しい噺家さんでも、音声だけだと単調に感じて眠くなることがある。
語尾がフェードアウトして、話が分からないこともある。そういうときは、諦めてスッパリ聴くのをやめる。
耳障りでもなく、話も聞こえているし、理解もできる。だが、どうにもこうにも眠くなる噺家さん。人情噺だと顕著に眠くなる。
名前が出てこない。ま、有名な人じゃないんだろう。
明石家さんまが出てこない
忘れっぽいので、ドラマや映画を新鮮な気持ちで、何度も観ることができる。今、観ようとしているのは、「古畑任三郎」のゲストが明石家さんまのやつだ。
だが、どうしても明石家さんまが登場しない。登場してくれれば、眠らずに観られるんじゃないかと思うのだが。
冒頭で気絶すること3回。諦めた方がいいだろうか。