代替肉(フェイクミート)って何者?
恥ずかしながら、昨日初めてその単語を見て、嫌な予感がしたのでググった。嫌な予感とは、不健全な響きのことだ。
主に、精神的な不健全さを感じることが多いが、これは肉体的な不健康も伴う、場合によっては危険とすら言えるものと思われる。
植物性の肉。それは既に「肉」ではない。植物性で良いのなら、豆腐だのこんにゃくだのを食えば済むことだ。でも人は「肉」を食べたくなる。それならば「肉」は必要なものであるかもしれない。
代替肉をアレルギーのある人や、制限せざるを得ない人が食すならば、それは大変有用なものと言えよう。
だが、思想だの流行だので「肉食」を否定して、それでも肉を食べた気持ちになりたいから、肉に思えるものを食べる。それって、あまりにも強引すぎる。
「肉食」を忌避するならば、単に食べなければいいだけだ。それを回りくどい事をして「私たちは動物を殺さない」だなんて、不健全極まりない思考回路だ。
私自身は中2頃、成長期が来るまでは、ベジタリアンに近い食生活だった。フレキシタリアンとベジタリアンの間な感じ。
フレキシタリアンとは「菜食主義中心の生活の中に、時には肉を取り入れた食事を行う人のこと(wikipediaより)」らしい。
準菜食主義的子供時代
子供の頃に私が摂取していた動物性タンパク質は、一日一個の鶏卵。たまにハム、ささみ、魚、魚肉ソーセージ、練り物、を食べるといった具合だった。乳製品も殆ど摂取することがなかった。
鶏卵以外は、本当は食べたくないけれど、無理やり食べさせられていた。摂食障害でもあったから、この食生活だけが原因とは断定できないが、「肉を食わないと体力がつかない」と思われる。
嫌いな乳製品や肉を口にするようになったのは、成長期が来たときだ。何としてでも背を伸ばしたかった。殆ど丸呑みに近い状態で、成長期の私は肉を食らった。おかげで2年間で30センチほど伸びて、その後もじわじわと伸び、平均身長を5センチほど上回った。
だが、今でも殆どの肉や魚を食べることができない。無理して食べても、吐いてしまうことが多いので、無理には食べない。
何事も極端はよろしくない
フェイクミートは、欧米で拡がりを見せているらしい。前述したように「動物を犠牲にしない(が、動物を食べた気持ちになれる)食事」という、不健康極まりない思想からきている。
それでは、植物は犠牲にしてもいいのか。
サボテンも恐怖や心地よさを感じるという研究があるくらいで、それは今はまだトンデモ研究だが、いつの日か真実だとなったら、そういった思想の人たちは何を食うのだろう。
これまで、人間は肉を含め、色んなものを食って生きてきた。肉が不要になる日が来るかもしれない。
だが、それは何世代にも渡って緩やかに変わるべきものであって「今年から我が家は菜食主義にします」なんてことにしちゃいけない。
それは不自然が過ぎる。もちろん、肉が手に入らないから食えないというのは仕方がない。また、大人が思想で行うのも勝手である。
しかし、子供や他人に強要するものではないし「肉を食うなんて、意識の低い人間だ」などといった風潮を作るのも、よろしくない。実によろしくない。
ただ、日本人限定でいえば、肉食傾向になったのは近年のことなので、肉を食べ過ぎていると思うなら、和食に回帰すればいい。文化の保護にもなる。
小柄な人たちが増えていき、再び脚が短くなるかもしれないが。
身体への影響は、例えば私が菜食になるのと、肉を多く摂取してきた人が菜食になるのとでは、まるで違うだろう。
何事も、極端なことをすると、不具合が生じる。ゆるゆると増えたものは、ゆるゆるとしか減らしてはいけない。ダイエットのリバウンドと一緒。後から支障が出るのだ。
代替肉が日本で流行りませんように
オリンピックを機会に代替肉が日本でも流行し始めることを、私は恐れている。
クジラやイルカは可愛いから賢いから食べちゃダメとか、犬や馬やウサギを食べるなんて考えられないとか。平気でそういう発言をする人がいる。
自分が食べないのは結構だが、他人の食を非難するのは如何なものか。私は現在、殆どの肉が食えないが、飢えた時には蛇だろうがトカゲだろうが食うだろう。自分でとっ捕まえて、捌いて焼いて食う・・・と思う。多分。
日本人の同調圧力ときたら、どっかの国のことを笑えない時がある。神経症的に肉食者狩りが始まったら嫌だなあ。
食べなくなると、匂いが気になるようになる。肉を食うヤツは臭いから電車に乗るな!とか言い出しそうな世の中。
怖い怖い。