おこもりさんも大海の夢を見る

諦めず、焦らず、時に倒れても海を目指して、ほふく前進する引きこもりの雑記ブログ

喧嘩の仕方を、いつの間にか知っていた

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危機だらけの人生なんだが、どれが最大なんだろう。

ほとんど記憶がないが、3歳で法定伝染病で隔離されたときなんだろうな。子供なのに助かったのは奇跡的らしい。

近年だと胆管結石で、胆嚢摘出時に0.16%の確率に見事命中。石が落ちて総胆管に詰まり、三日間放置されて膵臓がヤバかったことかな。

ダイビングで流されかけたことか、父親に首を締められかけたことか、風呂に逆さ吊りにされたことか、それとも・・・。

 

幼稚園を転園した初日、粗暴な男の子にど突かれたのが、記憶している最初の危機かもしれない。

園庭で自由に遊ぶ時間に、体の大きな男の子が子分を連れてやってきて、私を突き飛ばした。転んだが私は泣かなかった。

腹が立って、相手の顔を見ると、彼は更に攻撃を仕掛けてこようとしていた。私は咄嗟に砂を掴んで男の子の顔面に投げつけた。彼は泣いた。

それが初めての喧嘩っぽいものだった。ただの正当防衛かもしれないが。私は小さくて体格差があったのだから、過剰防衛ではない。正当性を主張する。

 

ところがこの男の子は、懲りていなかった。翌日か翌々日か、再び子分を連れて、縄跳びをしていた私の方へ、難癖をつけながら近づいてきた。彼はやる気満々である。

私は男の子をチラッと見て、突っ込んでこようとしてきたところで、縄跳びを加速させた。ビニールで出来た縄跳びの縄に、彼は勝手に顔面をぶつけて、泣いた。

先生が駆けつけて来るのが見えたので、私は知らぬ顔で立ち去った。

だって、私は縄跳びをしていただけなのだ。もし先生に何か言われたとしても、私に非は無い。だが、立ち去った方がいいように思えたのだ。

 

私にはそれまで、人間の遊び相手がいなかったし、喧嘩をする相手もいなかった。前の幼稚園では、馴染めずにひとりで過ごしていた。しかもほんの少ししか通っていなかった。

転園先のこの幼稚園でも、話し相手は後に出来たものの、最後まで馴染むことはなかった。

 

私はなぜ、喧嘩の仕方を知っていたのだろうか。当時はまだ、ろくすっぽテレビを観ていなかった。大人が十人ほどもいる家庭に子供が一人。そうすると子供がテレビを観る機会はない。

両親に連れられて引っ越すまで、私がテレビ番組を観たのは一度きりだった。だからテレビからの情報も影響も当時はゼロ。

 

誰から教わることもなく、売られた喧嘩を買ったり無視したりすることを、 私は自然と身につけていた。

今、思い返しても、当時の私の対応力は優秀だなと思う。

同時に、泣くこともなく、自分に非がないことを説明できた私は、可愛げのない子供だったろうなとも思うのだ。

 

 

 

今週のお題「人生最大の危機」